昭和47年12月20日 朝の御理解
御理解 天地書付
「生神金光大神 天地金乃神 一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい。」
今日は愈々報徳祭で御座います。所謂お徳に報い奉らして貰う、というお祭りで御座いいます。四神金光様、所謂二代金光様、四神貫之の神様と、すと三代生神金光様、所謂金光摂胤様、それに教祖の奥方であります、三柱のお御霊様へ対する所の、報徳のお祭りで御座います。小倉の桂先生が、二代金光様を命の恩人とも、又は九州の道の上での大恩人とも頂かれた。本当に四神様の御時代に九州に道が開けた。しかもただ事ではないと思われる様々な、四神様の御神徳によって、九州に道が開かれる事になった。
確かに九州の道の大恩人である。そこでなら私に取ってみればどう云う事かというと、成程勿論その、四神様が大恩人と思わせて頂くので御座いますけれども、なら取分け三代金光様の御信心なかりせば、現在の合楽は有り得なかったと言う事実をね、思います時にやはり合楽に取っては私に取っては、三代金光様が所謂大恩人と申し上げる事になるのです。何を致しましても思わしくない、まだお道の教師などと云う事は夢考えてない、もう一遍はお商売で結局、お商売他には知らん。
それこそ無学の商人、であった私なのですから他には何もする事は知りません。ただ商いの事だけでは、ま長年稽古をしてきたから、ある意味での自信は持っておった。その自信も喪失してしまう様な難儀な事になって参りまして、ご神意を伺わせて親教会長荒巻先生からご神意を頂いた時に、金光様が「道の教師としておかげを受けられたら結構です」とお言葉を頂いた。もうそれこそ本当にとてもそんな事でも夢思わなかったです。ね、それこそ晴天の霹靂と申しますかね。ね、
それこそ自分の耳を疑う思いで、その事を頂かせてもろうて腹が決まった。その後においても、御神夢の中に金光様が私の前に手を付いて、頼むと言われんばかりに、頭を深々と下げて下さった時に、あの時の有り難い、有り難いというか勿体無い勿体無いと言うて、夢の中で感泣した事を、思わせて頂くんですけれども、ね、そして二十数年今日の合楽があるので御座います。
そこでなら今日の報徳祭と云う事は、そういう大変なおかげを受けて参りました事に対する、ご恩に報いる所のお祭りでなからなければならんのですから、どう有らして頂いたが一番本当かと思わして頂きましたら、私が今日までおかげを頂いて参りました様々なおかげの事をです、つまびらかに御礼を申し上げる、と云う事、して此の様におかげを受けておる事、いや、是からまだどの様なおかげを受けて行くやら分からん程しの、兆しを合楽の上にいま感じておる事。
此の事を持って、今日の御社の大神様達への御礼とさせて頂こうと思うて、もう本当に私の心の中に、浮かばせて頂くだけのお礼の申し上げなければならな事をずうっと思わせて頂いた。そしてなら椛目の私の姪であります泰子が亡くなりました所まで、お礼を申し上げて参りましたら、もう神様が大変な感動をして下さったんです。先日も若先生と何人かの方でした。合楽に是だけの沢山な信者がおるけれども、この人はとこの人はと皆この人はという人ばっかり、本当にあの一騎当千の方達ばっかりだと思います。
先日も私はあの、お芝居の本を見せて頂いておりましたら、ある噺家の方が落語もお芝居も同じだと、例えて言うならばこの主役だけが、どんなに素晴らしかってもです、その脇役人と言う者が、いうなら下手であったら、もう主役もどんなに名優というても、もそれはおしまい駄目だと、こりゃ落語にも言えれる事であるし、お芝居には取分けそれが言えれる事だと云う様な事を、随筆風に描いておるのを、読ませて頂いとりました。そん時私読ませて頂きながらですね。
私が思うた事は本当に私自身も、私の脇役という御用を努めておられる方達の事を思うたら、私ぐらい素晴らしい脇役を頂いとる者はおるまい。親兄弟はもちろんの事、ね、お広前においてはならここで先生と呼ばれる方達、信徒会長、総代をはじめ松栄会、ね、黄楊会または美登里会、取分け私のまぁ懐刀的な御用を言う何時も受け賜って下さる菊栄会、もう本当に私みたいに恵まれた者んはおらんなと、思いましたらね、あの演劇雑誌の真ん中にそりゃもう、もう異様な異様なおいさみがあったです。
普通あのお鏡に付くとんなんか、チンと云う様なおいさみ、ほんな木なんかに付くやつカッチて云う様なおいさみでしょう。所が紙にこう開いとるこの紙にですね、おいさみが幾つかある。本当に私程恵まれておる、所謂主役の私がつまらんでも、その脇役人が素晴らしい。合楽の場合はと思わせて頂いたらです、もうそれこそ大変なおいさみを頂きましたんです。椛目の事を私がその、お礼申させて頂いとりました。ね、
それも今申します様に、若先生とそん現在の合楽で、ね、今私が思います様になら、皆さんの信心も素晴らしいけれども、ね、それを厳密にいうと、はぁあん人に此処が無かったらね、とかこの人がまいっちょ此処ん所に、頑張るとねと云う様な物を感じるわけです。けれどもまあちょいと口上のいいようのないていうならばなんと言うても、伊万里の市長さんじゃろうなじゃろうな、竹内先生じゃろうなと次には誰じゃろうか、まぁさ次には椛目の勝美さんじゃろうと云う事になりました。
だからその事を、私は思い出させて頂いてから、こりゃ椛目の事の泰子がお国替えの事のお礼を申させて頂いておりました。成程お国替えと云う事は、こんなに悲しい事はありません。まだあんな若いみそらで、しかも結婚してまだ半年しか経つか経たない内にです、亡くなると云う事ですから、けれども私はお礼を申し上げました。ね、そして後になってみれば見るほど、お礼を申し上げなければならなかったな、と今申しますように、椛目に是だけの信者がおるけれども。
もこの人はあらゆる角度から見て、いうなら火の付けどこがなかね、と云う様ないうなら息子を頂いておったと云う事、泰子なしには例えば養子に来ちゃくれません。泰子がおったからこそ養子に来てくれておった。してみると泰子の死もまた、有り難いお礼を申しあげ、まだ是から先どんなおかげになって来るやら分かりません。ね、そのおかげの事をお礼申させて頂いておりましたらね、神様が大変な感動を見せて下さる。秋永先生たち兄弟が、あのここのお月次祭の帰りにああいう大変な事故に合われた時。
もう十日も発ちましてからでしょうか、繁雄さん所の長男の国男さんが、お見舞いに行くというんです。けどもその、そういう大事な大事故にあっておられるのにどげんいうちから、お見舞いば申し上げてよいじゃ分からんが、親先生どげな風に申し上げたらいいでしょうかち言うた事お伺いがありました。そん時に天地書附のね、おかげは和賀心にありという、おかげと平仮名で書いてあるでしょう、おかげと此の事を頂きました。
それは国男さん、あのおかげは和賀心にありと仰る、どう云う訳教祖の神様が、あのおかげという事を、平仮名でお書きになっておられたかと云う事はね、もうどんな例えばそれは難儀とか、悲しいとかというような問題であっても、一切がおかげぞ、神愛ぞと頂けたら、こげな見やすい事はないぞと言う事なんです。例えばなら兄弟、死ぬか生きるかと云う程しの、ああいう大事故に会われた時にです、秋永先生おかげを受けられましたねと、是が一番のお見舞いだと、国男さんが頂きました。ね、
そこでです私どもがなら今申します様に、あらゆる事に恵まれあらゆる事に、おかげを受けておるので御座いますけれどもです、そんならそういうおかげ、おかげと云う事は決して、ならただ物に恵まれるとか又は人に恵まれるとか、ね、お金に恵まれるとかと云う事だけでは無くてですいうならば、ね、それこそ血の涙の出る様な事もあろう、悲しい事もあったんだけれども、そう言う時にですその受ける姿勢というおかげ、いうならそのことを、おかげとして受けてきた事。その事自体が私は。
今日の報徳祭にお礼を申し上げるならん、ね、例えばお商売をするさあ売れた、売れたと言うて大変な大繁盛の時に、お礼を申し上げるというのじゃなくて、是だけ信心するのにどうして、こんなに売れんじゃろうかと云う様な時にでもです、ね、お礼を申し上げれる心が、でけておったと言う事がです、ね、今日の報徳祭にこの様な有り難い、此の様な心の状態を頂けたと云う事はです、ね、素晴らしいと云う事になる。
昨日ももうご祈念が、あの前夜祭が済んで、ひとせんあのそこの事務所んとこで話しよりましたら電話が掛かって来て、今から息子と二人にお参りさせて頂いきます。息子は子供ん時にまいって来たけれど、あのまあいうなら始めての参りの様な事である。何十年ぶりである。と言われるのでなら、お待ちしとりますと言うておたら、あいものう参って見えましたから、あの静かな裏の部屋で、お話を聞かせてもらいました。様々な問題が、難儀な問題がある。
もうそれこそ金やら物やらに、は不自由の所か、もう金だんどれだけあるか分からんて言う風な家庭なんです。けれども是ばっかりはどうにもでけないという、やはり難儀がある訳なんです。ね、そこでなら私が今日までおかげを受けた、例えば事を話を聞いて頂く事をです、私は自信を持って、確信を持って、心配しなさらんでいいですよ、神様任せになってさえおきゃ、と言えれると云う事。そういうおかげを受けておると云う事がです、私は今日のこりゃ私の、ね、今日の四神さま三代様、ね。
にお礼を申し上げれる申しあげると云う事は、そのお徳に報いると云う事は、此の事以外にはないと云う事です。ね、先日阿倍野の先生のお話を頂いて、読み終わってしまってから、私はこの最後んとこに、こんなふうに書いてある。お道の教師が天職と言うも、それに適するまでに、よく鍛え抜かれておられる方だと思う。阿倍野の先生の場合、ね、私共もいまお道の教師という、取次者というこりゃもう天職、ついニ十年前までは商売人とだけしか思っていなかった。ね。
商人としておかげ頂こうと思うておったが、三代金光様のおかげでです、お道の教師を志させて頂く事にならして頂いた。そこで今私の是は天職、けれどもあのそのその天職と思われるお取り次に、の、それにです適する迄に鍛えて、られたと云う事がです、なにをいうなんと言うても、一番のおかげであると云う事です。今申しますそういう難儀な問題をです確信を持って、おかげが頂けますよと、私任せになって下さりゃ、神様任せになって下さりゃ、心配いりませんよと、言えれる所迄なら。
私は鍛えられて来たと云う事なんです。ね、しかもその私の例えば一生を通してあれもおかげ、是もおかげという一切がおかげの中にです、んなら、血の涙の流れる様な事もあった、悲しい涙を流す様な事もあったけれども、その事に対して、ね、もう即お礼が申し上げられる程しの、おかげを頂いておると云う事は、それこそおかげは和賀心にあるという、おかげを受けるはずだと私は思うのです。
だからおかげと云う事程見やすい事はない。どんなに損になる時でも、ね、どんなに痛い思いをする時であっても神愛と悟らせて頂いたら、それはおかげなのである。おかげこんなに見やすい事は無いと云う事。それをおかげをおかげと分からずに、不平を言うたり、不足を言うたり腹が立ったり、悲しがったりしておるだけの事。ね、それを私の場合はおかげともう簡単にね、秋永先生たちがああいう死ぬか生きるかと云う事、しかも兄弟です、親子兄弟、ね、
そういう事故に会っておられるのにお見舞いに行くのにです、秋永先生おかげを受けられましたなあ、とと云う事がです、ね、最高のお見舞いの言葉だと教えて下さる程しに、私共はです、一切をおかげと頂けれる言うならば、所迄信心を進めて行くならばです、有り難い、そういう和賀心もう今日はその事を、もう本当に思わせて頂いて、椛目の事を御礼申させていただきましたら、あの神様があんまり時間が無かったつから、もう早く立てというお知らせを頂いた。
でなかったら今日は私はまぁだ、三十分も一時間も座っとったかもしれません。私がずうっとおかげを頂いて来た事を、あれ是と思わせて頂いて、お礼を申し上げておるんですから、ね、その間には例えば、その嬉し楽しいと云う事だけでは無くてです、ね、腹も立ちゃ情けないと言った様な問題でもです、それをおかげと言う所迄、高めさせて頂く所の信心を頂いて来た事をです、で私は今日ははそこ迄で、あのご神前のご祈念を終わらせて頂いて、もちろん最後に五つの願いだけは致します。ね、
私共がです、どの様な場合であってもおかげ、と頂けれる、ならそれが頂けたら此の様にみ易い事はない。そういう心でふなんらもう是だけ頂いたから是で良いというのではなくて、そういう心で、尚かつ五つの願いを願って、願って願い抜こうというのが、この合楽の信心です。是だけのおかげを頂いておるから、そりゃよくあると云う事じゃ無いのです。それを神様の願いに応える事なんです。健康のおかげをより頂く事も、家庭円満のおかげをより頂く事も、ね。
子孫繁盛家繁盛より頂かせて頂く事も、ね、限りなく願って行かなければならない事ですから、ね。真実の御用のお使い回し頂ける為にはですおかげを頂かなければ出けんのです。そういういおかげを手本にしてです、ね、和賀心時代を創るという運動に、参加させてもらわなければならんからなんです。ね、だからそういう心でなら、五つの願いが願い抜かれるそういう信心がです今。今日合楽で日々おかげを受けておる、此の事も今日の報徳祭にです、ね、御徳にね。
報いさせて頂くと云う事は、神様に喜んで頂くと云う事その喜んで頂く事の一つまぁ、現在では最大の、おかげとしてです、此の事も併せてお礼を申し上げなければならないと言う風に思うので御座います。ね、皆さんもそれぞれ、今日のお祭りを、いかにどういう、ね、おかげを頂いて来たかという、そのおかげの中には、ね、例えて今秋永先生なら、ああいう大事故に会われたその事も、あの時を、あの様な受け方で出けたと云う事をです、そこまで育て頂いておるその事をです。
お礼を申し上げるおかげを頂いたら、是が何よりも、神様に喜んで頂く信心であり、今日の大祭の、最高の神様へのお供えだと言う風に思うのです。生神金光大神、天地金乃神、一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい、ね、今月今日で、ね、一心に頼ませて頂く事は、ね、現在の合楽では、もう五つの願い以外にはありません。ね、この願いを、ね、いわゆるその願いが成就する事の願いを、愈々させて頂かなければならんと思うので御座います。
どうぞ。